なぜモノクロ写真にこだわるのか
小山貴和夫
モノクロ写真の美しさ
色彩あふれる現実の複写したカラー写真から色相を取り除き明度だけのトーンに置き換えたモノクロ写真は、抽象化の作業といって良いでしょう。色彩に頼らないあるいは誤魔化されないで、テーマを先鋭化する事ができるのがモノクロ写真だと信じています。そして白と黒の芸術といえる墨書や水墨画また漆塗りの黒などに馴染んでいる我々にとって、モノクロ写真を好むのは本来の体質のようなものではないかと思っています。
「カラー・イメージング事典」(日本カラーデザイン研究所)に、『黒』について次のような記述がありました。「黒は静的で、動きのない色と解される。それは、色をきわめ、人生をきわめると黒にいたる。黒を究極の色、不動、不変の色とする仏教の教えに負うことがおおい・・・・・黒支度というコトバがある。色にあきた〈通〉が黒ずくめの衣服をイキに身にまとうことをいう。黒は、そうした究極の色といえるのだろう。」と、黒はこのようにすばらしい色なのです。
日本語には、モノトーンに関して白、鼠色、灰色、黒を軸に多少のカラーバランスの違いを含めて多くの色名を持っています。白、乳色、乳白色、卯花色(うのはないろ)、白鼠(しろねずみ)、銀色、白金色(しろがねいろ)、浅鈍(あさにび)、薄鼠(うすねずみ)、銀鼠色、小町鼠、薄墨色、鼠色、素鼠、灰色、鈍色(にびいろ)、鉄色、鉛色、砂色、生壁色、生壁鼠、根岸色、利休鼠(りきゅうねずみ)、浮草鼠、青柳鼠、千草鼠、美竹鼠(呉竹鼠)、松葉鼠、柳鼠、深川鼠、鴨川鼠、橡色(つるばみ色)、青白橡(あおしろのつるばみ)、山鳩色、麹塵(きくじん)、黒、墨色、玄(げん)、涅色(くりいろ)、烏の濡れ羽色。(「色の歳時記」朝日新聞社より)このように豊富に名付けられたグレートーンの美さに感性が刺激されます。
モノクロ印画紙には色調、地色、厚み、面状の違いがあり現像液との組み合わせで豊富な色調が作り出されます。それら要素が作り出す美しさが、モノクロプリントの魅力といえましょう。
映像記録をデジタルフォトに任せて良いのだろうか
保存性について
カラー写真(カラーネガ・カラーポジ(リバーサルカラーフィルム)・カラープリント)はともに色素画像つまり有機化合物です。やがて酸化して消えてしまう画像です。
デジタルフォトといえば、次々と新しいカメラが発売されています。新製品のたびに、前の物より高性能で安価となります。またそれに伴い新しい記録媒体が出てきますが、記録媒体が変わると、前の媒体の再生することができなくなります。精密な電子機器をメンテナンスをしながら、長い間使い続けることは困難を伴う問題なのです。古い映像情報を利用するためには、媒体が変わるたびに新しい記録媒体にコピーするしか方法はありません。しかし、それは大変な労力と経済的負担がともないます。各新聞社は太平洋戦争に従軍して多くの写真を撮影してきました。その中には、軍部の検閲により公開不許可となった貴重なものもありました。毎日新聞社では、戦後、進駐してきた米軍から太平洋戦争を記録した膨大なネガを守ったことで、後に多くの戦争を記録した出版物を発行することができました。これは写真部員の個人レベルの努力だったと聞いていますが、写真を保存する必要性が大きいことを証明していると言っても良いでしょう。
『CDに寿命20年説』
『CDに寿命20年説』は、CDの表面を覆っているポリカーボネート樹脂」が20年もたつと劣化し、樹脂に包まれているデジタル信号を記録したアルミ製円盤が外気に触れて腐食するため、信号の読みとりが不可能になるというものだ。実は、CDの寿命を巡ってはこれまでも「10年寿命説」「15年寿命説」がとりさたされたことがある。NECは、「50年寿命説」を唱えているが、「100年は持つ」と主張する専門家もおり、定説はない。」と報じていました。いずれにしても光ディスクならば永久に残せると思っているのは幻想のようです。(2000年8月29日付け朝刊)
また日本テレビの日曜日の番組の「特命リサーチ200X!」(2000年7月16日放送)で次のようなシーンがありました。「現代人が核戦争で死滅した後に出現した未来人が、廃墟と化した都市を調査するとおびただしい黒い粉末の山に出合ったといいます。それは磁気記録媒体の劣化変質した末の姿だというのです。さらに探すとモノクロのネガ出てきました。ルーペで拡大するとネガ像ではありましたが、現代人の様子を知ることができました。また紙に墨で書かれた文書も出てきて解読が始められました。そして最も劣化しないで残っていたのは、なんと石碑の碑文でした」というのです。電子映像やデジタル写真を考えるとき示唆の多いものであり、写真の持つ記録性の重要さについて考えさせられました。
モノクロ写真はすでに160年以上の歴史を持っています。この間に作られてきた作品と技術を、次の時代に伝えゆきたいものです。
画像の加工について
デジタルカメラで撮影された画像はあるいは銀塩フィルムからスキャニングされた画像は、コンピュータに入力され画像処理されるのが一般的な使い方でしょう。画像処理つまり加工には大変な問題が隠されています。合成、変形あるいは替色は、画像の変更となります。変更は改変・改竄につながります。それは写真の証拠能力や証明性を否定することになります。
しかも写真ということばは「真実を写す」という意味を持っているので、見る側に「写真に写っているものは事実である」という信仰のようなものがあるように思えて仕方がないのです。だから画像の加工処理が問題ではないかと思います。銀塩写真の場合は合成の跡がどうしても残ってしましますが、デジタル映像では合成したという痕跡を残さずにできるという問題があります。
私はかつてある弁護士さんから、「合成写真ではないか。」という相談を受けたことがありました。一枚の写真を示されて「この写真が撮影した時に、この建物が無かったはずなので証明してほしい」ということでした。よく見入ると二つの建物の窓枠なのどの水平線の延長線が一点に集まらないことに気がつきました。写真は、一つのレンズで撮影しているのですから、一点透視図法の法則に当てはまります。従って、カメラから斜めの位置にあるものの水平線を延長すると、一点に集まります。この点のことを消失点といいます。別のとことに集まる延長線があるとすれば、それは2枚以上の写真が合成されていることになります。そこで写真をトレースして、水平線になる物の線をそれぞれ延長する補助線を引いてみました。すると消失点が2ヵ所にできたので、合成写真であることを証明することができました。(二点透視図法とは異なる)しかしデジタルフォトでは、画像処理で簡単に変形ができますので消失点を一致させることなど簡単になり、このような証明はできません。
1980年、イスラエル製のコンピュータ製版設備『レスポンス300』が大手印刷会社に導入され、写真の合成、色相の変更、部分的な絵柄の除去や挿入が可能となり、高度な製版テクニックが可能となりました。つまり印刷の段階で写真の合成が可能となったということです。このレスポンス300の値段は数億円だったとのことで、現在のパソコンとは桁違いの値段です。数十万円のパソコンで同様の作業ができてしまうことが、安易な合成写真の製作につながっていると思います。
あらゆる媒体(プリント、印刷物、テレビ、映画)で画像処理が氾濫しています。何が本物なのか分からなくなってしまいました。